“記憶”に残るモノを作ること

素材と日本製にこだわるエルゴポックのバッグは
持つ人の人生に寄り添い、ともに時間を
過ごして行く相棒でもある。
今回は著名な作家3名に
エルゴポックのバッグとその人生を重ね合わせ、語ってもらった。

Story 1吉田修一
『物語』と出会うとき

革製品を選ぶときには、逆に革のほうからも選ばれているような気がする。
そんな風に言っていた人がいた。

それは子犬や子猫と目が合うような感覚で、買い物ではなく、出会いなのだと。
以来、革製品を買うことに慎重になった。その人の言葉に暗示をかけられたみたいに、ショップで革製品を手にとると、手のひらにしっくりとくるものと、こないもの、自分を選んでくれているものと、そうでないものが、なんとなく分かるようになったのだ。

小説家という仕事柄かもしれないが、出会いとは、二人がそれまでに育んできた物語が、そこでぶつかることだと思っている。

いくつであろうが、どこの出身だろうが、どんな人を愛していようが、みんなたった一つ、自分だけの物語を持っている。

そして、手間ひまをかけて作られた革製品ほど、「物語」の匂いがするものはない。

Story 2保坂和志
『忘れられない革の財布』

小さいころ母の実家で年の離れた従兄姉たちの末っ子みたいに育ったので、夏も冬も春も、長い休みはほとんどそこで過ごした。

小学五年の夏の終わり、田舎を発つ荷物をまとめていると奈緒子姉が私の壊れかけた小銭入れに目を止めた。
「和志、こんな汚ないの持ってるの?」

二年前の夏休みに奈緒子姉が買ってくれたのだ。隣の文房具屋で売ってたビニール製のやつだ。ジッパー部分もビニールで、札は八つに畳まないと入らないが、ふだんは札なんか持ってない。小銭入れの必要さえなかったけど、大事だからいつも持ち歩いてた。

奈緒子姉は今回はちゃんとした財布を買いたかったが、時間がない。私がこれでいいと言っていたら、英樹兄が、
「俺のおさがりを持っていけ」

と言ってくれたのが、革の財布だった。私は大事で使えなくて、自分の小遣いでビニールのやつを買った。

英樹兄の財布は机の一番上の引き出しにしまって、中学の終わりちかくまで眺めるだけだった。

Story 3北方謙三
『皮と革』

シャンソンに、『ブルージーンと皮ジャンパー』というのがある。アダモが唄っていた。

多分、六〇年代の中ごろではないか。日本盤は皮という字で、いま見るとそれがかえって新鮮である。皮が革となっていったのは、いつごろのことであろうか。
ある時から私は革製品に魅かれはじめ、革のジャケットのほかに、やや濃い茶色のブリーフケースも買った。

それに原稿を入れて、出版社に持ちこんだのである。
恰好をつけたわけだが、原稿はほとんど没であった。書けたら持っていって没という日々が、十年ほど続いた。

ある時、私は原稿を取り出しながら、ブリーフケースがぼろぼろになっていることに気づいた。もうやめろということかな、という気がし、青春はブリーフケースとともに終った、と思った。ところが、その原稿が本になった。

あのブリーフケースは、捨てず、いまも物入れの奥にある。

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